歴史には、時に、それを必然的とも偶然ともどちらにも思わせるような、あるいはどちらとも思わせないような、要するに時間錯誤としか言いようのない作品が生まれることがある。
本稿の場合、歴史とはジャズ史だったり映画史だったりするわけだが、それを、ジャズから見れば必然だが映画史的には偶然であるような作品、として位置づける(もちろん逆の場合もある)のが可能だとわかる。例えばクリント・イーストウッドの初監督作品『恐怖のメロディ』がそういう例だ。これが日本で初公開された時、誰もがとまどった。と言うのも、現代アメリカ西海岸地帯のリラックスした環境とそこに忍び寄る日常的恐怖を素材にしていながら物語設定はむしろクラシカルでレディメイドなサスペンスという不調和が際立っていたからだ。今から思えばここにはイーストウッドの「ジャズフリーク」ぶりがごく素直に表出されているに過ぎない。ジャズのスタンダード中のスタンダード「ミスティ」に対する愛憎、と言うと大げさだが要する個人的執着が「女を支配しながら実は征服されてしまう男」という屈折として表れたのだ。もっとも、そうした解釈を大前提とした上で、さらに述べるべきことがあるのがイーストウッド映画なのだがそれはまた別な話。今回はこうした時間錯誤のもう一つの例としてミケランジェロ・アントニオーニ監督が初めてイギリスで撮った『欲望』(66)を挙げようと思う。音楽担当者はハービー・ハンコック。
ハンコックはジャズ・ピアニストとして現在アメリカを代表する存在であり、コンポーザー兼アレンジャーであり音楽的オーガナイザーでもある。映画音楽家としてもモダンジャズをふんだんに駆使した『ラウンド・ミッドナイト』(86)でアカデミー賞を獲得している。だが『欲望』を時間錯誤と言いたいのは、まさに『ラウンド・ミッドナイト』のような正統的な作品と比較した時なのだ。ここにはイーストウッドとは逆に、映画史的必然がジャズ史的な突然変異を招き寄せたようなところがある。ジャズ史的には『ラウンド・ミッドナイト』に用いられるジャズこそ歴史様式的に少し間違いなのだが、見ていてそうした違和を感じることはない。ハンコックの音楽全般についてはいずれ改めて語る機会を持ちたいと思うが、今回は『欲望』に、期せずして実現してしまった奇妙な音楽的傾向のみに焦点を合わせてみたい。
もともとアントニオーニは「いわゆる映画音楽」は使わないつもりだったらしい。では何を使うつもりかと言えば、もちろんヤードバーズのナマ演奏である。これはうまくいき、結果『欲望』はブリティッシュ・ロック史的には、珍しいジェフ・ベックとジミー・ペイジのツイン・リードギターが聴かれる映画として有名になった。演奏されるのはオリジナル「ストロール・オン」だが、これは最初の候補曲「ザ・トレイン・ケプト・ア・ローリン」の著作権所有者が法外な使用料をふっかけてきたため苦肉の策として、それを基に作られた楽曲。要するにパクリだが、映画を観る、あるいはサウンドトラック盤を入手しない限り聴けないためにファンには長らく貴重な作品となっていた。現在は何度かCD化されたので苦労することなく聴ける。これを映画の画面に背景音楽として流すのではなく、彼らの実際のパフォーマンスとして物語中に組み込むという音楽的アイデアがまずあり、それ以外は現実音を使えば良い。これがアントニオーニの目論見である。
ところがこのアントニオーニの、あるいは彼を含む脚本家たちの、考えはあやうく挫折するところだったことがサントラの解説からうかがえるのだ。実は脚本家は、この出演グループにもともとヤードバーズではなくザ・フーを予定しており、ちゃんと出演交渉もしたらしい。だが色よい返事をもらえず、その間にヤードバーズの敏腕マネージャー、ジョルジオ・ゴメルスキーが話をまとめてしまったのだった。ギャラが折り合わなかった、とする説がサントラ盤には引かれているが異説もある。それによるとザ・フーのリーダー、ピート・タウンゼントが映画製作サイドのある申し出に難色を示したのだと言う。それは演奏しながら楽器を壊してくれ、というものだった。と聞いて何かヘンと思う人はロック道に明るい方である。ザ・フーは楽器を壊すパフォーマンスで有名なグループなのだから。すると、タウンゼントとしては物語の一部として「わざわざ」そういう振る舞いに及ぶのが彼らのポリシーに反する、と感じたのだろうか。ちなみに彼らの楽器破壊パフォーマンスというのは、映画ファンには有名なD・A・ペネベイカー監督の音楽ドキュメンタリー『モンタレー・ポップ(フェスティバル)』(67)の中で見られる。いずれにせよこれがないと物語が成立しない仕掛けになっているため、代役のヤードバーズもちゃんと慣れない手つきでこれに挑戦している。ジェフ・ベックの心中いかばかりであろうか、と心配することもない。この映画がヒットしたせいでこの時期ヤードバーズも時々舞台で楽器破壊をこなしたとのことである。
さて、そんな次第で音楽的部分では本来ハンコックの出る幕はなかったわけだが、アントニオーニは偶然聴いた彼の演奏で、音楽を依頼することにした、とこれはオリジナルのライナーノートにある。残念ながらアントニオーニが何を聴いたかはわからない。アントニオーニはジャズ愛好者とも同じ文章に書かれているので、それ以前からハンコックのジャズを知っていたのかも知れない。ハンコックはロンドンで地元のミュージシャンを起用してサントラを制作したが気に入らず、結局ニューヨークに戻り一流のジャズミュージシャンを率いて音楽をやり直す。これが現在聴かれるバージョンである。CDにはボーナスストラック(オリジナルサントラ盤には未収録ということ)としてトゥモロウによる二曲も聞くことが出来るが、これも、またヤードバーズの音源「ストロール・オン」もハンコックは一切関与していない。残念ながらハンコックがロンドンで作った音楽は廃棄されてしまった模様。「『欲望』エクストラ・セッション」というCDアルバムも世の中には存在するのだが、これは看板に偽りあり、で実際には60年代初頭の演奏が主体である。
この時代、ハンコックはミュージシャンとしてはブルーノートと契約していたが、サイドメンとしての仕事の方が忙しく、自身のリーダー・アルバムは前年の「処女航海」以来なかった。また次のリーダー・アルバムは68年の「スピーク・ライク・ア・チャイルド」だ。どちらもジャズ史に燦然と輝く名盤。それに挟まれた本作はMGMレコードからのリリースで、サントラ・アルバムという制約上発売枚数も限られ、同時代的にはきちんと評価される機会もなかった。もちろんヤードバーズの楽曲の件もあり、知る人ぞ知る、という幻の名盤的な扱いでそれなりに語られてはきたが、どこか継子風の存在だったのは確かだ。時間錯誤の最大の印象はここにある。つまり「処女航海」と「スピーク・ライク・ア・チャイルド」ならばはっきりと繋がりが見えるのだが、そこに『欲望』のつけいる隙が全くないとでも言うべきか。今聴けばむしろ70年代ハンコックを思わせる音が響いているのに驚嘆させられる。ところが、そう思いながら聴き返すと、いや、これは60年代初頭の「野蛮な」ハンコックの再来ではないか、と思わせる瞬間もある。まさに時間錯誤。ハンコックはこの時期、マイルス・デイヴィス・クインテットのレギュラー・ピアニストとしても活躍中で、「ネフェルティティ」等でその演奏を耳にすることが出来るが、そこにも先に挙げた自身のリーダー・アルバムとの繋がりは顕著なのだ。これらでハンコック(やマイルス)が追求したのは、モード奏法を基調にした「新主流派」と呼ばれる音楽スタイルだった。これはある特定の音階、音列(スケール)に則ってアドリブを組み立てる方法で、コード進行の規制から逃れる分、即興演奏の幅が広がることになる。「処女航海」のタイトルナンバーから「ネフェルティティ」のタイトルナンバー、そして「スピーク・ライク・ア・チャイルド」のタイトルナンバーへ、と続けて三曲聴くと、音楽的な専門家でなくても何となくメロディの緩やかな流れを感じ取れるはずだが、これが要するにそれぞれの作曲家がある特定のスケールでこしらえたテーマなのである。神秘主義的と言われたりロマンティックと称されたりして個別の曲の印象は全く変わるのだが、音をいくつかはしょりながら段々に上下するような感じは共通するのがわかるだろう。「新」と言っても「主流派」なのだから、つまりこれが60年代ジャズの典型的な音なのだと言える。
ところが『欲望』のジャズは少し違うのだ。何が違うかと言うと、それが映画史的には必然なのだが、この映画の舞台が1966年のロンドンだと言う点に起因する。既述のヤードバーズやザ・フー、それにもちろんビートルズ、ローリング・ストーンズに代表されるように、この時代の英国ポピュラー音楽はアメリカの黒人音楽、ブルースやR&Bの影響を大きく被っている。ヤードバーズの「ストロール・オン」を聴けばわかるように、それはアドリブの複雑さや達者さを競うやり方へは向かわず、ダンサブルなリズムの強調と繰り返しのパターンのメロディアスな楽しさをグループ全員と観客とが共有するような方向を目指す。アメリカでは60年代イギリス、ロック・グループのアメリカ国内での商業的成功を「ブリティッシュ・インヴェージョン」と総称するが、そもそもその音楽的基盤は白人によって再発見された黒人音楽なのである。そしてその渦中に他ならぬハンコックが投げ込まれたのが『欲望』の現場であったのだと、今にしてわかる。だから多分、大ざっぱに言えばこのサウンドトラック制作はインテリ黒人ハンコック(この頃の彼は白人ピアニスト、ビル・エヴァンスの影響が大きい)による、土俗的黒人音楽の発見だったのだ。そのためにその音はマイルスのグループを去った後、ファンク色を強めた時期のハンコックを思わせるのである。また彼はエヴァンス派に属する以前には「テイキン・オフ」に収録された「ウォーターメロンマン」等、初期のジャズ・ロックを代表する曲も書いている。これは彼がマイルスのサイドメンになる以前、トランペッター、ドナルド・バードのグループにいた頃のもので、ジャズ評論家小川隆夫によればバードのアルバム「フリー・フォーム」に収録されている「ペンタコスタル・フィーリング」(61年12月録音)で披露されたハンコックとビリー・ヒギンズ(ドラムス)の演奏がジャズ・ロックの最初の例ではないか、とのことである。ここには、純然たるジャズの環境下で新進ジャズメンが技法的実験を重ねながら新しいジャズを創造していく過程を体感出来る。ロックのリズムは60年代初頭にはハードバップの来るべき進化形として大きな注目を浴びていたのだ。つまり『欲望』とは、ハンコックのキャリアにおける先取りと総括とを同時に聴取する場を形成してしまったことになる。
『欲望』のテーマは67年、ボビー・ハッチャーソン(ヴァイブラフォン)のアルバム「オブリーク」で再演され、ハンコックもそこに参加しているが、サントラを一躍有名にしたのはディーライトが「グルーヴ・イズ・オン・ザ・ハート」で「ブリング・ダウン・ザ・バーズ」をサンプリング素材に使用してからである。