ロンドンとリリアン・ギッシュ Text by 大塚真琴   第6回 リリアン・ギッシュⅢ
黄金時代
1917年の3月にグリフィスは『イントレランス』の上映に立ち会うためにイギリスへ渡り、イギリス政府よりアメリカ参戦を促すためのプロパガンダ映画の製作を依頼された。この頃、メアリ・ピックフォードはセシル・B・デミル監督によるプロパガンダ映画『小米国人』に主演し、同年に作られたリバティ・ローンの宣伝映画にも出演している。ワーナ・ブラザーズの『My Four Years in Germany』(ドイツでの4年間 18)は、ドイツ人を徹底した悪者にして大ヒットした。グリフィスは1917年から1919年にかけて4本の戦争映画を監督し、その他に1918年のリバティ債権の宣伝映画を監督した。それにはリリアン・ギッシュも出演している。
『世界の心』はイギリスとアメリカで撮影したフィルムを使って完成されたが、映画に使われたフィルムの3分の2は1917年の11月にカリフォルニアで撮影されたものだった。ガイド付きで現実の戦場を訪れたグリフィスは、実際の戦場があまりにも戦場らしくないという現実と虚構の逆転したような現象に幻滅し、新たに兵士や戦車を導入して、戦場らしい戦場を作ろうと考えたほどだった。
この戦争映画で、リリアンとドロシーは長編映画の主役として初めて共演した。リリアンはもちろん、優しさと強さの入り混じった恋する娘を演じ、ドロシーは小さなお転婆娘を演じた。この映画でリリアンの魅力が全開されていることは言うまでもないが、ドロシーはこの映画ですっかりと人気者になってしまった。独特の歩き方は、グリフィスとリリアンがロンドンの町で見かけた若い娘の歩き方を真似たものだった。この頃の映画雑誌を見ると、ドロシーが一般にもLittle Disturber(小さなお騒がせ屋さん)の呼び名で親しまれていたことがわかる。

『The Hun Within』

エーリヒ・フォン・シュトロハイム
グリフィスは『世界の心』を撮った後、『偉大なる愛』(18)、『人類の春』(18)、そして『勇士の血』(19)の三本の戦争映画を撮った。それらを撮った主な理由は、イギリスやフランスで撮影したフィルム、特にイギリスのアレクサンドラ皇太后や貴族階級の人々を撮影したフィルムを使いたいという思いであった。1918年の2月、『世界の心』の仕上げに入っていたグリフィスは、チェスタ・ウィズィという若い監督を別の戦争映画を作らせるために雇った。グリフィス脚本による『The Hun Within』(私たちの中にいるドイツ兵)はドロシー・ギッシュ主演で、1918年9月に公開された。この中にエーリヒ・フォン・シュトロハイムがドイツ人将校の役で出演していたが、非常に目立たない役だったので批評で指摘されることもなかった。シュトロハイムは『世界の心』にドイツ人将校の役で出演すると同時に技術指導を担当していた。なお、この時期に撮影された戦闘場面のフィルムは『素晴らしい哉人生』(24)にも使われている。
『偉大なる愛』と『人類の春』に主演したリリアン・ギッシュは、グリフィスの女優としてその存在がますます重要になって行った。また、『人類の春』では、リリアンが気に入って仕事をさせるようになったカメラマンのヘンドリック・サートフが撮影したリリアンのクロース・アップが使われ、その美しさが話題になった。サートフは『世界の心』でリリアンのスチル写真を撮影していたカメラマンで、これ以降次第にその力を広げ、それは結果的にはビリー・ビッツァーの居場所を奪う形になってしまう。
グリフィスはイギリスに渡る前にアートクラフトと6本の映画を作る契約を交わしており、『偉大なる愛』、『人類の春』、『勇士の血』、『幸福の谷』、『スージーの真心』、『悪魔絶滅の日』の6本がアートクラフトを通して上映された。

『幸福の谷』(19)は、『人類の春』の後に撮影された。戦争映画ばかりに没頭していたグリフィスにとって、自分の故郷であるケンタッキーを舞台にしたこの映画は、悲惨な光景から離れたいという思いが表われているようにもみえる。この映画に戦争の影は全く見られない。戦争のことばかり考えていたグリフィスは、その反動で極端に素朴な映画を作りたくなったのかもしれない。力を抜いても、自然に映像がでてくるような映画、なんでもない日常のごく普通の行動を描きたいと思ったのではないだろうか。この辺りからグリフィスは完全なメロドラマへと移行して行く。もともとその傾向はあったが、『世界の心』をきっかけとして、もっと強くそれが現われるようになったのである。

『幸福の谷』は、ニューヨークへ行った恋人を8年間も待ち続ける素朴な娘が主人公である。このジェニーという名前の娘は、小さな帽子を頭のてっぺんに乗せるようにして被り、三つ編みのお下げにワンピース、コットンストッキングという出で立ちで、細い足でちょこちょこと歩く。忘れっぽく、今手元に置いたものをもう忘れてしまう。それで部屋の中をぐるぐると歩き回ったりしているのである。この素朴な田舎娘をリリアン・ギッシュが演じた。恐らく、彼女にしかできなかった役だろう。他の女優が演じていたら映画の魅力は半減したに違いない。洋服の型紙をあてがって、流行に乗り遅れまいと必死になっている姿。窓辺の机に時計を置いて、分厚い本を開いて恋人を待つ姿。そのひとつひとつが、リリアン・ギッシュという女優によって今初めて意味を与えられたかのように新鮮に見えた。